LOGIN見惚れるような顔で、甘く囁いてくる。
「エマ。ほら、口を開けてごらん」 「ぁぅ……」 魅惑的な微笑に逆らえない。 エマは顔を赤くしたまま、あむっとフォークに食いついた。 「ん……!?」 口の中に、しっとりとした甘さと、アーモンドの香りが広がる。 (おいしいっ……これ、洋梨かな?) 今の時期ではないはずだから、貯蔵庫にあったものを使ったのかもしれない。 貴族向けの贅沢品だと分かり、噛みしめるように食べた。 神殿にいたころも、今も、エマが贅沢を味わえる機会は多くない。「エマ、どうですか?」 「おいしいですっ」 「フフ。どうぞ」 ルシアンがまたタルトを切り分けて、エマの口に運ぶ。 エマはタルトのおいしさに感動しながら、モグモグと食べた。 タルトだけではない。薄切りのパンも、チーズや生ハムも、焼き菓子ですら、ルシアンはエマの口に甲斐甲斐しく運んでくる。 (い、いいのかな? ルシアン様にこんなことさせて) はじめのうちは、無礼を働いているようでドキドキしたが、与えられる食べ物がどれもおいしくて、つい夢中になった。 端から見れば、まるで親鳥が雛に餌を与えているような光景だ。 「エマ。これもどうぞ」 「はいっ。あ、ルシアン様の分がなくなりますっ」 「私はワインだけで結構です。エマはお酒を嗜まないのでしょう?」 「はい……弱いので、飲まないようにと、ナタリナに言われてます」 「侍女がそう言うなら、やめた方がいいでしょうね」 ルシアンは自分のグラスに赤ワインを注いで、口を付ける。 それを見ながら、いいなぁと羨ましく思った。 (僕も、飲んでみたいのに) もう成人しているのに、ナタリナは「エマ様にはまだ早いです」とワインを飲むのを許してくれない。食事のときに用意してくれるのは、いつも水か果実水ばかりだ。 (もう少し大人になったら、飲めるかな?) ルシアンのグラスをジッと見つめているとそんな二人のやりとりを、店主が微笑ましく見守っている。 「では半分にしましょう」 「はいっ」 エマはホッとしたが、それが油断に繋がった。 ルシアンはもう一つの布きれを手に取り、トレイの上に広げた。 「これは、南方で流行っているとか?」 「さようでございます。ランジェル国では夏の間、就寝の際にシュミーズではなく、このような下着をつける風習があるのです。こちらは女性用になります」 「え? 女性が、下着を履くのですか?」 意外な話に、エマは驚いた。 ランダリエ王国の女性は身分を問わず、昼間は裾の長い肌着を、寝るときはゆったりとした薄い夜着を羽織る。男性と違い、下着を履かないのが普通だ。 エマは『聖樹』だから、アルファに嫁ぐことを踏まえて、女性に準じた服装を身に纏っている。 「レディー。ランジェルは一年中温暖な気候で、軽装が好まれる地域です。就寝時に下着だけというのも、あちらでは普通だと聞きました」 「閣下の仰るとおりです。そして、こちらの下着ですが、ランダリエでも一部の貴婦人の間で流行っているのですよ」 「一部で流行ってる……?」 その意味がよく分からなくて、エマは首をかしげた。 店主は微笑を浮かべたまま、ルシアンに視線を向ける。 エマがルシアンを見あげると、赤い瞳を細めて、かすかに笑った。 そっとエマに顔を近づけて、耳元で囁く。 「恋人や夫と夜を共に過ごす時に、これを着けるそうです」 「夜……ぁっ!」 意図するところを察して、エマはボッと顔から火を噴いた。 とっさに俯くが、耳たぶから首元まで真っ赤になっている。 (この布きれを身につけて……ベッドの上で、行為を!?) レースで作られたそれは非常に小さく、秘部を隠すのに心許ない。 エマが動揺している間に、ルシアンは下着まで購入してしまった。 (え、ちょっと待って? あれ、僕が着けるの……?) まさか、と思ったけど、どうもそうらしい。 店主
うっとりと囁く声に、ピクリと震えた。 このままでは、再び甘い時間になってしまう。 エマは急いでテーブルのグラスを手に取った。 「そろそろ、食事を終わらせないとっ……ナタリナたちが待ってます」 「あちらのことは、気にしなくて良いのですよ?」 「でも、せっかく美術館に来たのですから。ルシアン様と一緒に見て回りたいです」 この機会でもなければ、エマは王立美術館を訪れることができない。 エマも絵画や彫刻を見るのは好きなので、まだまだ見ておきたかった。 そんな気持ちが通じたのか、ルシアンはにこりと笑う。 「分かりました。では、食事が済んだら、また案内してもらいましょうか」 「はいっ」 「これもどうぞ」 ルシアンはエマのグラスに、果実水を注いでくれる。 もうぬるくなっていたけど、それだけの長い時間をルシアンと二人きりで過ごしたのだ。 そう思うと嬉しくて、エマは自然と笑みを浮かべた。 + + + 貴賓室での休憩の後は、残りの展示を見て回った。 じっくり見るなら、一日でも回りきれないほどの広さだが、案内の文官は有名な絵画や美術品、それにルシアンの好みに沿った展示などを効率よく巡ってくれたおかげで、充実した一日になった。 馬がけに出かけた皇太子たちが戻ってくる前に、天耀宮に戻らなくてはいけない。 夕方になる前に、王宮美術館を出て馬車に乗りこんだ。 そのまま王宮へ戻るのかと思ったが、ルシアンが寄りたい店があるという。 向かった先は、王都の貴族街にある服飾工房だった。エマは仕立屋に足を踏み入れるのは初めてで、少し緊張しながらルシアンの後に続く。 店の中は落ちついた内装で、きれいなドレスや装飾品が並べられていた。 レースをふんだんに使った華やかな帽子に手袋、首や肩にかけるストールやケープなども揃っている。貴族はオーダーメイドが基本なので、ここにおいてあるものは見本のよう
「はいっ。僕も、いちおう『聖樹』なので……女神様のご加護が届くように、一生懸命にお祈りしますからっ」 エマにできることは、それくらいだ。 お祈りなら、ルシアンが帰国した後も、無事を願って続けられる。 「エマが祈ってくれるなら、きっとご加護を頂けますね」 「ぁっ……そうだといいのですが。僕は、祈ることしかできませんから」 「十分ですよ。ありがとう、エマ」 ルシアンが柔らかく微笑んだ。 いつもの優しい笑みに安堵して、エマもほっと肩の力を抜く。 しばらく見つめ合っていたが、ルシアンが困ったように眉を寄せた。 「それで、私の立場は理解してもらえたと思いますが」 「はい」 「さらに複雑にしてるのが、ティエリー様です」 「え? どういうことですか?」 皇太子の名前が出てきて、首をかしげる。 ルシアンは顔をしかめて、説明してくれた。 「私とティエリー様は、家系図だけ見れば、従兄弟になります」 「あ、ルシアン様のお父様は、皇帝陛下の弟君なのですよね」 「そうです。私はアルファであり、父の息子ですから、同い年のティエリー様とは幼少の頃から付き合いがありました」 「皇太子殿下の、側近の候補としてですか?」 「そうです。私は婚外子ですが、父は私が生まれた時から、私を跡継ぎに望んでいました。皇帝陛下も、私が幼い頃から可愛がって頂いています。つまり……ティエリー様と私は、主従関係ではなく、従兄弟の間柄で、友人として付き合ってきたのです」 「だから、あんなに仲がよろしいのですね」 「腐れ縁みたいなものです」 ルシアンが苦々しい顔で呟く。 「皇太子という立場は、きらびやかに見えますが、重圧や責務も伴います。皇帝陛下は、私がティエリー様におもねることなく、側近として仕えることを望んでいらっしゃいます」 「ああ……だから、ルシアン様は特別なのですね」 ランダリエの神殿で育ったエマでも、皇太子がどれほど偉い立場なのか理解している。 隣国の
ふつうの貴族は、王族や皇族に気に入られることを自慢するのに、そんな気配がないのだ。 (ルシアン様は、嫌なのかな?) だけど、間近で見た時は、付き合いの長い友人のように思えたのに。 「その……皇太子殿下の次席補佐官に任命されるのも、信頼の証だと思ったのですが」 「私には不要な役職です。ですが、ティエリー様には政敵も多いですからね。友人のよしみで、仕方なく拝命したのですよ」 ルシアンがため息まじりに答える。 エマは、ますます不思議に思った。権力欲のない貴族は、珍しいからだ。 「……私は、帝国では少々複雑な立場にいるのです」 ルシアンは困ったように笑う。 エマを見つめながら、事情を話してくれた。 「私の瞳の色は、珍しいでしょう?」 「はい。ルビーのようで、とても美しいです」 エマは宝石みたいな赤い瞳を見つめて、微笑んだ。 そして、もう一人同じ色をしている人物を思い出した。 「あっ、皇太子殿下も、赤い瞳でいらっしゃいます。……ルシアン様より、深い赤色ですが」 ルシアンがルビーなら、皇太子はガーネットのような美しさだ。だけど、皇太子の深紅の瞳は、少し怖い。 「エマは、帝国の皇族が持つ、外見の特徴を知っていますか?」 「えと……皇族はみな、闇のような黒髪であると習いました」 「そうです。ですが、それだけではありません」 「他にもあるのですか?」 「はい。赤い瞳も、皇族の血統である証です」 「えっ!?」 エマは目を見開き、ルシアンの顔を凝視した。 ルシアンは伯爵だ。でも、赤い瞳を持っている。 「ルシアン様は……皇族なのですか?」 驚いた顔で尋ねると、ルシアンは微笑んだまま、首を横に振った。 その笑顔が寂しく見えて、エマは胸が締めつけられる。 (どうして、そんな寂しそうなお顔をするんだろう?) その疑問は、すぐに解けた。 「父は皇帝の弟で、皇族でした。陛下が即位する前に臣下に下り、
見惚れるような顔で、甘く囁いてくる。 「エマ。ほら、口を開けてごらん」 「ぁぅ……」 魅惑的な微笑に逆らえない。 エマは顔を赤くしたまま、あむっとフォークに食いついた。 「ん……!?」 口の中に、しっとりとした甘さと、アーモンドの香りが広がる。 (おいしいっ……これ、洋梨かな?) 今の時期ではないはずだから、貯蔵庫にあったものを使ったのかもしれない。 貴族向けの贅沢品だと分かり、噛みしめるように食べた。 神殿にいたころも、今も、エマが贅沢を味わえる機会は多くない。「エマ、どうですか?」 「おいしいですっ」 「フフ。どうぞ」 ルシアンがまたタルトを切り分けて、エマの口に運ぶ。 エマはタルトのおいしさに感動しながら、モグモグと食べた。 タルトだけではない。薄切りのパンも、チーズや生ハムも、焼き菓子ですら、ルシアンはエマの口に甲斐甲斐しく運んでくる。 (い、いいのかな? ルシアン様にこんなことさせて) はじめのうちは、無礼を働いているようでドキドキしたが、与えられる食べ物がどれもおいしくて、つい夢中になった。 端から見れば、まるで親鳥が雛に餌を与えているような光景だ。 「エマ。これもどうぞ」 「はいっ。あ、ルシアン様の分がなくなりますっ」 「私はワインだけで結構です。エマはお酒を嗜まないのでしょう?」 「はい……弱いので、飲まないようにと、ナタリナに言われてます」 「侍女がそう言うなら、やめた方がいいでしょうね」 ルシアンは自分のグラスに赤ワインを注いで、口を付ける。 それを見ながら、いいなぁと羨ましく思った。 (僕も、飲んでみたいのに) もう成人しているのに、ナタリナは「エマ様にはまだ早いです」とワインを飲むのを許してくれない。食事のときに用意してくれるのは、いつも水か果実水ばかりだ。 (もう少し大人になったら、飲めるかな?) ルシアンのグラスをジッと見つめていると
「では……可愛らしい貴方に触れたのは、私が初めてなのですね?」 「っ……! そ、そうです……っ」 エマは、ドキドキしながら頷いた。 「あ……でも! その、僕が勝手に感謝してるだけで! ルシアン様とは、もうすぐお別れですし……その前に、ちゃんとお礼が言いたくてっ」 そう言いながら、胸の奥からこみ上げる想いを、ぎゅっと押し込めた。 本当はルシアンを慕っているけど、そこまで図々しいことは言えない。 (僕なんかに想われても……困るよね) 親切心や同情を、愛情だと勘違いされたら、ルシアンだって困惑するはずだ。 (ルシアン様には、もう十分によくして頂いたから) 「本当に……ありがとうございました、ルシアン様」 エマは胸の痛みをごまかすように微笑み、もう一度、丁寧に頭を下げた。 「今日も、ルシアン様の恋人としてご一緒できて、とても楽しかったです」 お礼を伝えると、ルシアンが柔らかく目を細める。 「変装とはいえ、女装するのに抵抗はありませんでしたか?」 「いいえ。大丈夫です」 エマは首を振って、はにかんだ。 「王子に見つからないように配慮してくださって、本当に感謝しています」 そのおかげで、堂々とルシアンの側にいることができた。 (むしろ、こんな幸せが訪れるなんて、信じられなかったな) たった一日でも、憧れのルシアンの恋人になれたのだから。 「それでは、明日も同じように、変装して出かけましょうか」 「……えっ?」 目を瞬かせて、ルシアンを見上げる。 「女装に抵抗がなければ、ですが」 「よろしいのですか!?」 「もちろんです。可愛い貴方を連れて歩けるのですから、本来なら私の方がお願いしなくてはなりません」 「っ……!」 エマの頬が、朱色に染まる。 「で、では……っ。ぁ、でも……王子に見つからなければ、良いのですが……」 「第二王子のことなら心配いりません。今日と同じように、私が取り計らって